大判例

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最高裁判所第一小法廷 平成5年(オ)561号 判決

上告人

青木慎介

中島一世

右両名訴訟代理人弁護士

伊藤皓

右両名補助参加人

興亜火災海上保険株式会社

右代表者代表取締役

笹哲三

右訴訟代理人弁護士

高崎尚志

被上告人

小椋秀子

小椋雅樹

右両名訴訟代理人弁護士

黒岩哲彦

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告補助参加人代理人高崎尚志の上告理由について

一本件は、交通事故により受傷した被害者がその後自殺し、被害者の相続人らが、加害車の運転者及び加害車を運行の用に供していた者に対し、死亡による損害を含む損害の賠償を請求するものである。

二原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

1  小椋勝(昭和一五年九月六日生。以下「勝」という。)は、昭和五九年七月二八日午後一時四〇分ころ、静岡県賀茂郡東伊豆町の国道一三五号線を普通乗用自動車を運転して走行中、前方不注視の過失により反対車線から中央線を越えて進入してきた上告人青木の運転に係る普通乗用自動車に衝突され、頭部打撲、右額部両膝部打撲擦過傷、左膝蓋骨骨折・右肩右眼囲打撲皮下出血、腹部打撲、右上膊部打撲、頸部捻挫の傷害を受け、被害車に同乗していた勝の妻である被上告人秀子及び子である被上告人雅樹も負傷した(以下、この交通事故を「本件事故」という。)。上告人中島は、本件事故当時加害車を運行の用に供していた者である。

2  勝は、静岡県賀茂郡東伊豆町の森恒医院に昭和五九年七月二八日から同年八月四日まで入院して、1記載の傷害につき頸部牽引等の治療や頸椎用軟性コルセット着用等の措置を受け、同日東京都足立区西新井の水野病院に転院し、同日から同年九月八日まで入院し、翌九日から通院して治療を受けたところ、昭和六〇年四月一二日には首の動きも正常に戻るなど身体の運動機能は順調に回復し、同六一年一〇月八日に症状固定の診断がされ、頭痛、頭重、項部痛、めまい、眼精疲労などの後遺症は、自動車損害賠償保障法施行令二条別表等級第一四級一〇号と認定された。

3  勝は、本件事故前には、精神的疾患もなく、通常の社会生活を送っていたが、本件事故後は口数が減り、次第に家庭生活においても明るさを失い、2記載の水野病院における治療期間中、医師に対し、頭痛、めまい、眼精疲労などの愁訴を繰り返し、本件事故の態様についてしばしば口にし、医師による就労の勧めをもかたくなに拒絶した。

4  自らに責任のない事故で傷害を受けた者は、自らにも責任のある事故で傷害を受けた者に比較して、加害者によって完全に被害を回復されたいとの欲求が強くなり、また事故時の精神的衝撃が長い年月にわたって残りがちであり、性格傾向や生活上の他の要因等と相まって災害神経症状態に陥りやすい。本件事故の態様が上告人青木の一方的過失によるものであり、しかも家族連れでの行楽途中の開放的心理状態の下で突然遭遇したものであるなど、勝に大きな精神的衝撃を与えるものであったこと、補償交渉が納得のいく進展をみていなかったこと、意思に反する就労の勧めがされたことなどに起因して、勝は、昭和六一年三月ころには災害神経症状態となって勤労意欲が減退していた。勝は、同年五月ころから、勤務先である日産ディーゼル工業株式会社の人事担当者から復職のめどを打診されるとともに、従前勤務していた川口工場の閉鎖移転に伴い、群馬工場に配転になることを告げられ、同年六月末ころ、復職願を提出したものの、同会社からこれを受け入れられなかったため、川口工場の移転に伴う退職金優遇制度があることや復職しても転居等の生活上の負担が避けられないことなどを勘案した結果、同年九月三〇日付けで退職した。

5  右のように災害神経症状態に陥ると、その状態から抜け出せないままうつ病に発展しやすいものであるところ、勝は、退職後も再就職が思うに任せなかったことや、本件事故により同様に負傷した被上告人秀子らとの家庭生活が以前に比較して暗くなったことなどの原因が重なってうつ病になり、精神科医による治療を受けることもなく悶々とした生活を続け、昭和六三年二月ころには被上告人秀子に不眠・食欲不振等を訴えていたが、同月一〇日、自殺した。うつ病にり患した者の自殺率を全人口の自殺率と比較すると約三〇倍から五八倍にも上るとされている。

三本件事故により勝が被った傷害は、身体に重大な器質的障害を伴う後遺症を残すようなものでなかったとはいうものの、本件事故の態様が勝に大きな精神的衝撃を与え、しかもその衝撃が長い年月にわたって残るようなものであったこと、その後の補償交渉が円滑に進行しなかったことなどが原因となって、勝が災害神経症状態に陥り、更にその状態から抜け出せないままうつ病になり、その改善をみないまま自殺に至ったこと、自らに責任のない事故で傷害を受けた場合には災害神経症状態を経てうつ病に発展しやすく、うつ病にり患した者の自殺率は全人口の自殺率と比較してはるかに高いなど原審の適法に確定した事実関係を総合すると、本件事故と勝の自殺との間に相当因果関係があるとした上、自殺には同人の心因的要因も寄与しているとして相応の減額をして死亡による損害額を定めた原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。所論引用の判例は、いずれも事案を異にし本件に適切でない。論旨は採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官三好達 裁判官大堀誠一 裁判官味村治 裁判官小野幹雄 裁判官大白勝)

上告補助参加人代理人高崎尚志の上告理由

一 原審判決は、最判昭和五〇年一〇月三日交通民集八巻五号一二二一頁に違背し、判決に影響を及ぼすことが明らかなる法令の違背の違法があるから破毀すべきである。(民事訴訟法第三九四条)

すなわち、右最判昭和五〇年一〇月三日は、事故により傷害を負って自殺した事案について事故との間の相当因果関係を否定している。しかるに、本件においては、右最判昭和五〇年一〇月三日よりも傷害の程度において、はるかに軽く、かつ、質的に異なる点が多々ある事案であるにも拘らず、事故と自殺との間に相当因果関係を認めているのは、右最判昭和五〇年一〇月三日に明らかに違背するから原審判決を破毀すべきである。

以下その理由を述べる。(福岡右武、裁判実務体系8、「被害者の事故後の自殺」、一四五頁以下参照)

(一) 最判昭和五〇年一〇月三日(交通民集八巻五号一二二一頁)は、事故と被害者の自殺との間に相当因果関係がない旨の原審認定の事実関係の下において正当であるとして原審判断を維持している。事案は、脳挫傷、外傷性視神経障害、右大腿骨骨折の傷害を受け、記銘力減退、知的水準の低下、精神作業量減退、右視野狭窄、性格変化等の後遺障害を残した被害者が自殺したもので、自殺の動機は必ずしも定かではないが、事故当時同乗していた友人の死亡を気にかけていたことに加えて、単純思考、無抑制といった性格から突発的に自殺を決意し実行に移したと考えられ、自殺当時の被害者の症状は、前記のような後遺障害を残しはしたものの、徐々に軽易な労働に従事しうる程度まで回復し、被害者自身も職場復帰を決意し、自殺までの二日間会社に泊りこんでいたことから考えると、肉体的な面からすれば自殺せねばならない程の切迫した状況にあったとは認めがたい、等というものであった(なお、最高裁判決で加害行為と自殺との相当因果関係が問題になったものとして、このほか、交通事故の場合以外のものであるが、高校教師の懲戒行為の対象となった生徒が自殺したものにつき、自殺を決意することを予見することが困難であった判示の事情の下においては教師の懲戒行為と自殺との間に相当因果関係はない、とした最判昭五二年一〇月二五日判タ三五五号二六〇頁がある。)

そして交通事故の被害者が事故後自殺した場合の裁判例をみると、多数の裁判例は相当因果関係説にたち、自殺の予見可能性の存否を検討したうえ、事故と自殺(死亡)との相当因果関係の有無を判断している。(なお、事故により傷害を受けた者が自殺した場合、事故から通常生じる結果といえないことは当然のことであり、名古屋地判昭和四七年五月一〇日判タ二八三号三〇五頁、東京地判昭和六二年八月二七日交通民集二〇巻四号一〇八七頁はそのことを明言している)そして、

1 相当因果関係を否定した裁判例は次のとおりである。

(1)金沢地判昭和四三年七月三一日(判時五四七号七〇頁)、(2)広島地判昭和四五年九月三〇日(交通民集三巻五号一四八四頁)、(3)大阪地判昭和四六年二月一七日(交通民集四巻一号二八五頁)、(4)京都地判昭和四六年六月二一日(交通民集四巻三号九三三頁)(本件は自殺未遂の事案である。)、(5)東京地判昭和四六年八月三一日(交通民集四巻四号一二五九頁)、(6)京都地判昭和四七年八月三〇日(判タ二八八号三五三頁)、(7)札幌地判昭和四八年八月二五日(交通民集六巻四号一三五九頁)、(8)福岡地判昭和四九年一〇月四日(交通民集七巻五号一三六三頁)、(9)札幌高判昭和五〇年二月一三日(交通民集八巻五号一二三七頁)これは、前掲札幌地判の控訴審判決であるとともに右記最判昭和五〇年一〇月三日の原審判決である。(10)静岡地判昭和五五年八月二九日(交通民集一二巻四号一〇九四頁)、(11)仙台高判昭和五七年一月二七日(交通民集一五巻一号五一頁)、(12)神戸地判昭和六三年一〇月二八日判タ七〇二号二〇二頁。

これら否定例は、事故と自殺との間に事故がなければ被害者が自殺しなかったであろうという関係、すなわち条件関係ないし事実的因果関係、の存在自体は認めており、その上で、自殺の予見可能性の存在の存否を問題としこれを認定しえないものとしている。

2 相当因果関係を肯定した裁判例は次のとおりである。

(1)大阪地判昭和五四年七月一〇日判時九五二号九八頁

右の大阪地判昭和五四年七月一〇日は頭部外傷、内臓(腸)破裂等の傷害を受けた被害者が頭部外傷が原因となって生じた外傷性てんかんによる周期的気分変調、もうろう状態、前頭葉の萎縮による性格の変化のいずれかが、或いはそれらが複合して契機となって衝動的に自殺したものにつき、頭部外傷性てんかん症状などを来たし、それが原因となって自殺にいたる症例は比較的稀であることは認められるが、必ずしも予見しえない異例な症例とはいえないので当該自殺は事故と相当因果関係がある、としたものである。

(2)神戸地判昭和六三年一〇月二八日判タ七〇二号二〇二頁、など。

(二) 本件における自殺した訴外小椋勝が本件事故によって負った傷害は、頭部打撲、右額部、両膝部打撲擦過傷、右肩・右眼囲打撲皮下出血、腹部打撲、右上膊部打撲、頸部捻挫である。そして、事故日(昭和五九年七月二八日)から八日目の昭和五九年八月四日の医療法人社団水野病院における初診時の診断は、左膝蓋骨骨折・頸部打撲、頸椎捻挫であり、右眼瞼部には皮下出血が認められ、四肢痛及び頸部不快の訴えはあったものの、脳波に異常は見られず、右側頭部の血腫もすでになかった(一審判決、原審判決)のである。すなわち、脳には客観的、他覚的な異常は存在していないのである。本件における自殺した訴外小椋勝の傷害、後遺障害が、前記の最判昭和五〇年一〇月三日交通民集八巻五号一二二一頁や大阪地判昭和五四年七月一〇日判時九五二号九八頁と根本的に異なる点は、その傷害、後遺障害の内容、程度において格段の違いがあるのみならず、そこには質的な差がある、すなわち、最判昭和五〇年一〇月三日の事案は、脳挫傷、外傷性視神経障害という傷害を受けて記銘力減退、知的水準の低下、性格変化等という明らかに器質的な変化があるのであり、大阪地判昭和五四年七月一〇日は、頭部外傷が原因となって外傷性てんかんによる周期的気分変調、もうろう状態、前頭葉の萎縮による性格の変化という明らかに脳に器質的変化があるのに対して、本件の小椋勝には、頭部打撲はあっても脳の器質的変化はない(自賠責保険の後遺障害等級も一四級に過ぎない)。

訴外小椋勝は、脳に器質的変化がないのに拘らず、災害神経症状態を経てうつ病状態になったとされているが、脳に器質的な変化を与えるような事故(正確には権利侵害)ではなく、また、脳と関係がない場合として考えても、その傷害後遺障害の部位、程度、内容を総合してみると軽いものであるから、訴外小椋勝がうつ病状態になったり、自殺することを通常人において予見することが可能な事態ということはありえない。

よって、本件事故と訴外小椋勝との自殺との間の相当因果関係を認めた原審判決は、前記最判昭和五〇年一〇月三日交通民集八巻五号一二二一頁に明らかに反するものである。

二〈以下省略〉

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